Relaxの雑記

Relax的雑記集

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労働者として「労働」する場合、この記事で語られている、比較的誰でもできる可能性がある「労働」と、誰でもすぐには出来ない「労働」に大別される。


404 Blog Not Found  掃除夫の不満、職人の不安

掃除の技能というのは、多くの人が日頃自宅でやっていることで(これに関しては私もやっている)、わざわざ学校に行ったり師匠の元で修行しなくても出来る。



しかし、世の中の仕事の少なからぬ部分は、すぐには就けない仕事だ。何年も学校に通い、その後も何年も現場を踏んではじめて出来るようになる仕事も少なくなく、そしてこうした仕事がますます増えている。




経済的な意味に限定すれば「労働」の「価値=報酬」であるだろう。



物やサービスの値段は、欲しい人とそれを与える人のバランス、つまり需要と供給のバランスによって成り立つため、
この2つの「労働」を比べてみると、誰にでもすぐには出来ない という労働供給量の制約を根拠として、相対的に後者の報酬は高い場合がある。



ただし、経済的価値に限定した「労働」を求めるのであれば、労働者として「労働」を追求するのではなく、安定性、収益性などにおいて、労働者としての「労働」より、遙かにボラティリティの大きい、経営者としての「労働」を追求しない選択肢は、あまり合理的であるとは言えない。これは、誰にでもできる、できないという取っ付き易さとは違う軸の話だ。



田坂広志さんが、経済的価値に限定しない、労働の価値という基準を語ったこの話を思い出した。



前者の、誰にでもできる「労働」は、後者の高度なノウハウや知識を生かす「労働」より「労働」の価値が低いとは必ずしも言い切れないということを端的に表している。




二人の石切り職人


旅人が、ある町を通りかかりました。
その町では、新しい教会が建設されているところであり、
建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。


その仕事に興味を持った旅人は、
一人の石切り職人に聞きました。


あなたは、何をしているのですか。


その問いに対して、石切り職人は、
不愉快そうな表情を浮かべ、
ぶっきらぼうに答えました。


このいまいましい石を切るために、
悪戦苦闘しているのさ。



そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に
同じことを聞きました。


すると、その石切り職人は、
表情を輝かせ、生き生きとした声で、
こう答えたのです。

ええ、いま、私は、
多くの人々の心の安らぎの場となる
素晴らしい教会を造っているのです。



どのような仕事をしているか。
それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではありません。
その仕事の彼方に、何を見つめているか。
それが、我々の「仕事の価値」を定めるのです。








「労働」の価値は、経済的な意味に限定すると、その価値を見誤ってしまうのだろう。



二人目の石切り職人が生み出す商品やサービスは、何よりも私たちの心に響きはしないだろうか?



私自身も、二人目の石切り職人の思いで、仕事に励みたい。

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コメント
この記事へのコメント
自分の周りには、こういった考えの社員は中々いないな。
2007/02/07(水) 12:58:15 | URL | tts #79D/WHSg[ 編集]
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